STARRY DOG PARK & STORE 泉ヶ岳

STARRYでは、2024年春にドックラン併設のショップをオープンします。仙台市近郊の泉ヶ岳の麓、七北川がそばを流れる自然豊かな土地で、わんちゃんと一緒にリフレッシュ&リラックスしていただけるスペースです。引き続きクラフトグッズもお取り扱いいたしますので、ショッピングもいままで通りたのしんでいただけます。

オープンを記念して、詩人武田こうじさんとパートナーの柴犬うたちゃんを迎えて、わんちゃんとの暮らしについて、連載を綴っていただきます。昔から、「犬は人間の良きパートナー」と言われていますが、みなさまはどのようにわんちゃんと過ごしているでしょうか。

さて、これからの6回のおはなしをおたのしみいただきながら、小さなパートナーのことをあらためて考えるきっかけになればと願います。

 わんこと暮らすことで、毎日が豊かなものになっていくのは間違いないけれど、その中でも「一緒じゃなかったらわからなかったなぁ」というのが、一緒に歩くことで出会う、街のあれこれである。

 ぼくが初めてわんこと歩いたのは、小学4年生の時だった。毎日散歩に連れていくことが、わんこを家に迎え入れる条件だった。ぼくは学校に行く前と帰ってきてから、近所を歩きまわった。

 ぼくの実家は青葉区の中山で当時はまだ空地も多く、用水路や田んぼもあって、ザリガニやヘビなどをよく見つけていた。探検というのは大げさかもしれないけれど、わんこといろいろなところに行った。また、学校の校庭も勝手に入っていって良かったので、わんこを散歩している人と出会っては、わんこ同士のケンカが起きていた(あれはじゃれあいではなく、ケンカだったと思う)。そうした日々の中で、ぼくは自分の好きな道、好きな公園、好きな夕暮れなどがあることを知った。そして、苦手な道、会いたくない人(わんこ)を考えるようにもなった。ぼくの中山の歩き方が出来ていった。中学生になると、散歩の時間も遅くなり、夜の学校に行って、夜景を見たりした(中山中学校からは夜景が見えた)。好きな子ができると、その子の家の方まで歩いていった。

 中山にはいまも両親が住んでいるので、たまに帰るのだけれど、うたと一緒に歩くと、子どもの頃に歩いた散歩の時間を思い出す。さっき書いたような景色はなくなってしまったけれど、まだ残っている公園や、歴代のわんこたちが必ず立ち寄る電信柱などには、うたも引き寄せられるように歩いていく。そんな時は子どもの頃の自分といまの自分が再会しているような不思議な気持ちになる。


うた、雪を駆け回る

 話がちょっと飛んじゃうけれど、ぼくは小説に出てくる街の描写が好きで、もしかしたらストーリーより気にしているのでは、と思うことがある。中でも探偵ものは大好物で、ローレンス・ブロックのマッド・スカダ―に出てくるニューヨークや、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのロサンジェルスは何度読んでもドキドキするし、切なくなるし、現実なんてどうでもよくて、この中に出てくる街を感じることが、自分にとってのほんとうの世界なのでは、と思ってしまう。スカダーとマーロウからはとても影響を受けていて、街で働くことはどういうことなのか、を考えるようになった。ちなみに探偵ものといえば、もちろんコナンも外せない。米花町というのは実際にはないけれど、頭の中では時々米花町を歩いている。小説ではなく、マンガだけど。

 いま、うたと毎日街(近所)を歩きながら、ぼくはその時間を言葉でスケッチしている。うたを見ながらも、空を見たり、木を見たり、立ち並ぶビルやマンション、お店を見ている。行き交う人々の服やしぐさを見ながら、季節の移り変わりを感じて、人と関わることを考えている。

 うたが、最初歩かなかった時、おばあさんが話しかけてくれた。「どうしたの?」「ぜんぜん歩いてくれないんです」「そうなの。じゃあ、わたしと一緒なら歩ける?」うたはおばあさんについて行くように歩き始めた。その方に会うのは、散歩の楽しみのひとつだ。会える時は続けて会えるけれど、会えない時はなぜかずっと会えない。おばあさんを見つけるとうたは走っていって、抱きついてしまう。「会えるかなぁと思って、途中で休んでいたの」と言ってもらったりして、うたもぼくもあたたかい気持ちになる。夏は暑いから、散歩の時間が早くなってしまって、しばらく会えなかった。先日、久しぶりに会うと「足が痛くて、もうそんなに長くは歩けないの」と言っていた。「なにか、できることがあったら言ってくださいね」とぼくは言ったけれど、きっと、ぼくにできることは、会って挨拶するくらいしかない。

 近所のクリーニング屋さんも、うたのお気に入りの場所だ。働いているスタッフの方たちも、クリーニングを運んでくるドライバーさんも、うたの友だちだ。その方たちといる時は、うたはぼくを無視している。だけど、喜ぶうたを見るのは楽しい。朝、ぼくとケンカしてから、散歩に出た時は走って、クリーニング屋さんに向かったこともあった。ぼくは引きずられるようについて行った。慰めてもらおうとしているな、と思った。そして、実際に慰めてもらっていた。


うた、散歩中

 よく「柴犬は気分屋だから、その日によって行きたいところ、歩きたい道がちがう」と言われる。だけど、うたにはそういうのはなくて、ぼくが行こうとするところを歩いてくれる。よく行く散歩コースは新寺の緑道だ。ここは名前のとおり、緑の道で、季節ごとに表情がちがう。吹く風がちがう。見上げる空の高さがちがう。ゆっくり、いろいろ考え事をしながら歩くのが好きだけど、うたのペースで歩くのにも慣れてきた。ねこや鳥もいる。毎月28日は『新寺こみち市』がある。ここで、出会う人たちとの挨拶やちょっとした会話は、大切な街の場面だ。

 別のコースとしては、五橋公園に立ち寄るのが多いかな。五橋公園は街中にあって、妙に存在感がある公園だ。春は桜、秋は紅葉が美しい。だけど、だけど、である。最近はとにかくゴミが多い。五橋公園だけではなく、いまはほとんどの公園にゴミ箱や灰皿が設置されていない。そうなった経緯も理解はしているし、新しく設置できないというのも、行政の方から説明を受けて理解はしている。「そういう時代なんだ」ということ。いろんな意見があって、いろんな意見を聞かなきゃいけなくて、動けなくなってしまう。だけど、ほんとうにそれでイイのかなぁ、と思い、自分のラジオ番組で関わってくれた方たちとご近所清掃活動を始めた。それは『清掃する・交流する』というもので、ぼくはうたと行くことが多い。みんなも、うたと会うのを楽しみにしてくれている。ごみがなくならない街を、ごみが少ない街にできたら、と思う。


うた、散歩中

 散歩していると、「今日はみんなに会えたなぁ」と思う時と「今日は誰にも会わずに帰ってきてしまったな」と思う時がある。うたと街を歩くということは、みんなに会うということだ。宅配の方たちも仲良しだ。車を見かけると、うたは走っていく。忙しそうに仕事をしているのに「うたちゃん、こんにちはー」と手を休めて、話しかけてくれる。わんこの友だちもけっこう増えた。なかでも、まるちゃんというわんことは、とても仲良しだ。まるちゃんは、さっき書いたような、その日によって、歩きたいコースがちがうわんこ(柴犬ではないけど)で、時々まるちゃんに「今日はどっちに行くの?」と聞いて、一緒に歩くこともある。うたは、マルちゃんの後をついていく。その時は、ぼくたちの町の歩き方がいつもと変わる時だ。当然、街を言葉でスケッチしているぼくの頭の中もちがってくる。

 ある時、とあるマンションの前を歩いていたら、管理人さんが出てきて、うたを見て「昔、飼っていたわんこ、死んじゃってさ。思い出すと涙、出てくるんだよね」と話してくれた時があった。その日から、そこを通った時は、うたは必ずそのマンションに入っていき、管理人さんに抱きしめてもらっている。

 今回は散歩コースを振り返りながら、いろいろな出会いを書いたけれど、実際はこの何倍もの人たちに、うたはお世話になっています。この連載を読んでもらえたら、「わたしのこと書いていないー!」と言われてしまうのではないかと思うくらいです。うたはこの2年、みんなに育ててもらったと言っても嘘じゃないです。そして、それはぼくもで、日々のそうしたやりとりの中で、自分を整えたり、大切なことに気づいたりしています。

 あっ、だけど、みんなの名前をほとんど知りません。もちろん連絡先も。たぶん、ぼくの名前も知らないと思う。みんな、うた、という名前は知っているけれど。


うたとクリスマスドリンク

profile

武田 こうじ

詩集の刊行、ポエトリー・リーディング・ライブをさまざまな場所で開催。また、病院や学校で詩のワークショップや読みきかせをしている。仙台市立富沢小学校、仙台市立錦ケ丘小学校、丸森町立丸森小学校、丸森町立舘矢間小学校、丸森町立丸森中学校の校歌を作詞。

うたと暮らす第2話

わんこと暮らすことで、毎日が豊かなものになっていくのは間違いないけれど、その中でも「一緒じゃなかったらわからなかったなぁ」というのが、一緒に歩くことで出会う、街のあれこれである。

ぼくが初めてわんこと歩いたのは、小学4年生の時だった。毎日散歩に連れていくことが、わんこを家に迎え入れる条件だった。ぼくは学校に行く前と帰ってきてから、近所を歩きまわった。