STARRY DOG PARK & STORE 泉ヶ岳

STARRYでは、2024年春にドックラン併設のショップをオープンします。仙台市近郊の泉ヶ岳の麓、七北川がそばを流れる自然豊かな土地で、わんちゃんと一緒にリフレッシュ&リラックスしていただけるスペースです。引き続きクラフトグッズもお取り扱いいたしますので、ショッピングもいままで通りたのしんでいただけます。

オープンを記念して、詩人武田こうじさんとパートナーの柴犬うたちゃんを迎えて、わんちゃんとの暮らしについて、連載を綴っていただきます。昔から、「犬は人間の良きパートナー」と言われていますが、みなさまはどのようにわんちゃんと過ごしているでしょうか。

さて、これからの6回のおはなしをおたのしみいただきながら、小さなパートナーのことをあらためて考えるきっかけになればと願います。

 うたのことを書くこと。それは自分にとって、最も書きたいことで、だけどいざ書くとなると、なにかがちがってしまうような気がして、なかなか形にならないものでもある。ぼくは子どもの頃から、わんこのことばかり考えて生きてきた。自分の人生にとって間違いなく、とても大切で、いろいろなことを教えてくれた存在だ。だけど、いや、だからこそ、書こうとすると、うまくいかないのかもしれない。

 実際、いろいろな場面で書こうと思ったことはある。書きたいとつねに思ってもいる。また、わんこのことを書いてあるものはつい読んでしまう。テレビなどで取り上げているものは、ついつい見てしまう。YouTubeやSNSでも話題になっているのも、気がつくと、見てしまっている。

 そうしたもののほとんどは見るとほっこりするし、ニヤニヤしちゃうし、「かわいい」とか「そうだよねー」とか話かけてしまう自分がいる。だけど、同時にこうも思う。「なんか、ちょっとちがうんだよなぁ」。それはどういうことか。よくわからないけれど、自分が感じていることとなにかがちがうような気がするのだ。じゃあ、それがなにかを解き明かし、書いてみようと思うのだが、やはり、それがなにかはわからないし、わからないなら書けないということになってしまう。

 この連載は半年くらい続く予定で、テーマや内容は自由ということなので、なにを書こうかなといろいろ考えたのだけど、いま、書いたようなこと、わんこと自分の「なにか」について書いてみようと思う。というか、書きながら、その「なにか」を探していこうかなと。それって、なかなか贅沢な仕事だと思うけど、読んでもらえたら、うれしいし、もし、あなたの「なにか」にふれることができたら、さらにうれしい。そうなっていけば、次の春にオープンする『STARRY PARK』に、この連載をつなげることができるかもしれない。そんなわけで、手探りな、始まりですが、よろしくお願いします。

 この連載の主人公はうた。うたは柴犬で、この11月で2歳になった。うたと暮らし始めたのは、2022年の3月14日で、そこからいろいろと考えるようになった。それはなぜか。で、それがなぜかを書くとなると、うたと暮らす前に、一緒に暮らしていたミルクのことを書かないといけない。ミルクはスピッツで、保護犬だった。とても怖がりで、なかなか心を開いてくれなかった。ぼくはずっと語りかけていた。「大丈夫」「ずっと一緒にいるよ」と。少しずつ心を開いてくれるようになり、文字通り、ずっと一緒にいた。自分の仕事が割と自由に動けるので、できるだけ多くミルクを仕事先にも連れていった。ミルクは「ただ」一緒にいてくれた。となりでごはんを食べていても、欲しがるようなこともなかった。吠えることも滅多になかった。ミルクのそばにいて、ミルクの中に顔を埋めて、ぼくは「ただ」伝えていた。「もう大丈夫だよ」。

 そんなミルクとの時間は過ぎていき、お互いに年をとり、ミルクは病気になり、手術をして、入院もした。体調を崩すことが増えて、病院に行くことが日常になった。診察の結果を聞くのはいつも怖かったけれど、ミルクと病院に通った時間もかけがえのないもので、年を重ねていくミルクを見ていると、人間が決めた時間というものは果たしてほんとうなのか、と考えるようにもなった。そして、ミルクとさようならをする時がきた。ぼくはミルクがいなくなったら、自分も終わってしまうと思っていた。終わってしまってもイイと思っていた。だけど、そこからも当たり前に日々は続き、なんとか自分を続けてきた。ただ、どうしてもミルクが足りなくて、前を向くことができなかった。

 ミルクがいなくなって、1年が過ぎようとしていた時。どうしても、わんこにふれたくなって、どうしてもスピッツに会いたくなって、とあるペットショップに出かけた。そんな考え方が間違っているのはわかっている。赤ちゃんのスピッツに会っても、それはミルクではないし、そもそもそんな理由でペットショップに行くのが良いのかもわからない。だけど、どうしても、あの感覚(わんこにふれる)が恋しくて仕方がなかった。それまでも保護犬のサイトなどで、次のわんことの出会いを考えたりした。だけど、いざ会うとなると、いろいろな意見や条件にふれることになり、決断できない自分がいた。なので、ふと思い立ったように、ペットショップに入っていった。そこでうたと出会った。

 うたのゲージには不思議な価格が表示されていた。(なんて書いていいかわからないので、あえて「不思議な」と書くね)そして、なぜ、その価格なのかは聞いても答えてもらえなかった。うたは懐っこくて、かわいかった。その価格がどうしても気になり、うたと暮らすことを決めた。ぼくは「冷静なんだ」と言い聞かせてはいたけれど、いま思えば、そうではなかったのかもしれない。それでも、うたと暮らすことに迷いはなかった。ただ、心の奥の方で引っかかっていることがあった。ミルクはどう思うかな、ということ。

 このことに正解はない。そもそも、ミルクは答えてはくれない。というか、どこまでミルクのことをわかっているのかも怪しい。勝手に、都合よく、わかったつもりになっているのではないかと考えたりもした。そんな時、ある人にそのことを話すと「ミルクちゃんはそんな風に思っていないよ。感謝しているだけだよ。あなたのことを心配しているよ」と言われた。この言葉を信じるかどうか。それが、わんことの「なにか」なんだと思う。ぼくは信じた。そして、その夜ミルクは夢に出てきてくれた。ミルクはいつも行っていた公園にいた。夢の中のミルクは「ただ」そこにいた。起きた時、涙が止まらなかったけれど、ぼくはうたを迎えに行くことにした。そう、出会った時に、うたの名前は詩(うた)と決めていた。


うた、睡眠中

 うたが家にやってきた。緊張していた。ぼくも、うたも。やがて、家の中をうたが走り回る。その時、ずっと暮らしてきた家が、それまでとちがうものになったような気がした。ミルクは先に書いたように、とても怖がりで、部屋の中でも決まったところから動かなかった。うたはちがう。すべての部屋に入っていき、すべての部屋を荒らしていた。ミルクとうたはちがう。頭でわかっていることに心が追いつかない。気がつくと、ぼくは大きな声を出していた。「うた、ダメ!」「うた、やめて!」。いろいろなものが破壊されて、ぼくのペースというのがなくなった。すべてがうたのペースだ。ぼくはミルクとの時間を思い出した。あの穏やかな日々。「ただ」一緒にいた、あの静かで、やさしかった時間。ほんと、ひどいよね。うたはなにも悪くないのに。ミルクと過ごしたような時間を、うたが与えてくれると思い込んでいるなんて。でも、どうしても考えてしまう。そして自分が、自分のペースをいかに大事にしているのかも思い知った。そして「うた!」と大きな声を出している自分に苛立った。

 これって、当たり前のことですよね。わんこが家に来れば、こうなりますよね。ここまで読んでくれた人も「なに言っているの?」と思っていますよね。だけど、ぼくはわかっていなかった。大変なことになったと思った。それは、うたが大変だったというよりも、ミルクとうたはちがう、と理解できなくて、現実を受けとめることができない自分が大変だった。

 散歩もできなかった。ぜんぜん歩いてくれない。帰ってきて足を洗えば、大喧嘩になる。しつこくてすいませんが、ほんと、あるあるですね。でも、逆に信じてもらえないかもしれませんが、ミルクは自分からお風呂に入ってきたがるわんこでした。なので、嫌がるうたをみているだけで、とてもショックを受けてしまう。ぼくは自分が小さい奴だと思い知りました。


うた、横になる

 ミルクといた時、いろいろな場面でミルクについて、またはわんこについて話す機会があった。自分はちょっと得意になっていたのだと思う。「ミルクは保護犬で~」「とても怖がりだから、いつも一緒にいるんです」とか話していた。同じマンションや近所で会うわんこ友だちにもアドバイスとかしていた。そんなぼくも、うたに出会って、すっかり自信をなくしてしまった。ミルクといる時は余裕があっただけで、自分はなにもわかっていなかったんだ。

 そのうち、ぼくの方が散歩の時や、ペットショップ、動物病院に行った時など、柴犬に会うといろいろ訊くようになった。みんな(わんこ)、うたよりも大きく、みんな(人)、ぼくの先輩だ。「柴は大変だよー。なかなか言うことを聞いてくれないよ」「3歳くらいまではずっと動き回っていたなぁ」。ほんと?うたも3歳までこうなの? というか、3歳になったら大人しくなるの? 信じられないんですけど……。「うちのはいま、10歳。なつかしいなぁ。うたちゃんくらいの時もあったな」そうなんだ。うたもこんな感じで大人になるのかな……。「まだパピー?」「はい」「そうかぁー。いいなぁ。うちはもうおじいちゃんだから。この子はまだ遊びたがっている顔をしているな」「えー、もうずいぶん遊んだのですが……」「いやいや、まだだよー。うちも昔はそうだったなぁ」。そう言って、ちょっと寂しそうな顔をしている。「部屋の中のいろいろなところをガリガリするんですけど、しますか?」「するする。家はもういろいろ破壊されたよ」「やっぱ、そうですか」「でも、それでイイと思いますよ。ちょっとずつだけど、こっちの言うことがわかってくるから」(ほんとうかなぁ……)。


うたと散乱したティッシュ

 そうそう、トイレもすごかったー。家の中のいろいろなところでしちゃって。回数も多かった。ある時、うたのうんちを片付け流していると、トイレがつまってしまった。トイレのつまりを直そうと道具を使い、YouTubeでやり方を調べ、やってみたのだけれど、うまくできない。何時間かかっても解消できず、それまでの育児(?)疲れもあったことで、すっかり挫折モードのぼくはトイレのつまりを解消してくれる業者に連絡をして来てもらった。ちょうど、その頃仙台では地震があったばかりで、扉がちゃんと閉まらないなどの対応が増えていて、その業者の人は大阪から出張で来ていると言っていた。家に入ってきた瞬間、うたは抱きつき、はしゃいでいた。作業の邪魔になると思い、なんとか離そうとするのだけど、テンションが上がったうたは言うことをきいてくれない。「すいません」と言ったぼくにその人は「わんちゃんはこれくらいがいい。おれは好きだよ。こういう元気なわんちゃん」と言ってくれた。そして、なんか、すごい道具を使って、トイレのつまりも一発で直してしまった。「なんでー?あんなにかかってもできなかったのに」と思わず言うと、「プロと素人の差やな(笑)」と言って帰っていった。一瞬でトイレのつまりが直ったことと、その人に言われた「わんちゃんはこれくらいがいい」がとても響いて、一気に体中の力が抜けたのがわかった。ぼくはなにを気にしていたのだろう。なにに焦っていたのだろう。きっと、なんでもなかったんだ。うたも「ただ」一緒にいてくれただけなのだ。うたの「ただ」とミルクの「ただ」はちがう。それだけのことなのだ。そう思うと、なんか、うたのいろいろがおかしく思えてきた。

 それからも、なんどもぶつかり、怒ったり、向かってこられたり、とお互いいろいろやっているけれど、まあいいかなと思えるようになった。うたにはうたの言い分があって、それをぼくにぶつけてくる。それを正面から受け止める時もあれば、かわす時もあるし、受け止め過ぎてしまいそうな時は、力を抜くようにしている。そして、わかってきたことがある。ミルクの時のように一日中一緒にはいれないけれど、やっぱり、うたにも「大丈夫」「ずっと一緒だよ」って伝えている自分がいることを。なぜか、この気持ち(大丈夫)と言葉(ずっと一緒)は人には言えない。どうしても自分を疑ってしまうし、相手も信じることができない。伝えてしまうときれいなものが、少しずつ濁っていくのがわかる。そして、そのことが自分の中の大切な「なにか」だというのもわかっている。ぼくは、それを詩という作品にしている。だけど、わんこにはちがう。ミルクにはたくさんのありがとうがあった。ぼくからも。ミルクからも。そして、それはうたにもある。まずは出会えて、ありがとう。そして、ぼくと暮らしてくれて、ありがとう。で、もうひとつ、ミルクとちがうということを教えてくれて、ありがとう。


うたとおもちゃ

 さて、2歳になったうたは、散歩もできるし、トイレも決まったところでできるようになった。足も大人しく洗えるようになった。だいぶ、会話になってきたような気がする。人懐っこいのもあって、たくさん友だちができた。(このあたりは次回書こう)そして、なぜかぼくが仕事をしているのをとても嫌がる。電話でも、zoomでも打ち合わせはとにかく嫌みたいで、邪魔してくる。ライブのリハも、原稿書きもかなり嫌みたいで、お互いが疲れるまで暴れている。なので、この原稿も家ではない、いろいろな場所で書いている。そんな、うたとぼくですが、よろしくお願いします。


うた、散歩中
profile

武田 こうじ

詩集の刊行、ポエトリー・リーディング・ライブをさまざまな場所で開催。また、病院や学校で詩のワークショップや読みきかせをしている。仙台市立富沢小学校、仙台市立錦ケ丘小学校、丸森町立丸森小学校、丸森町立舘矢間小学校、丸森町立丸森中学校の校歌を作詞。

うたと暮らす第1話

STARRYでは、2024年春にドックラン併設のショップをオープンします。仙台市近郊の泉ヶ岳の麓、七北川がそばを流れる自然豊かな土地で、わんちゃんと一緒にリフレッシュ&リラックスしていただけるスペースです。引き続きクラフトグッズもお取り扱いいたしますので、ショッピングもいままで通りたのしんでいただけます。オープンを記念して、詩人武田こうじさんとパートナーの柴犬うたちゃんを迎えて、わんちゃんとの暮らしについて、連載を綴っていただきます。昔から、「犬は人間の良きパートナー」と言われていますが、みなさまはどのようにわんちゃんと過ごしているでしょうか。